ワット・プラ・マハタート/ワット・ラーチャブナラ/ワット・プラ・シー・サンペット/王宮跡/ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット/ワット・プラ・ナム



















































写真の詳細



アユタヤ遺跡の写真は余りにも大量にあるために別ページすることにした。
それと同時にここで起きた惨烈な侵略戦争に対する残虐な行為で、破壊された多くの仏像を鎮魂する意味をこめた。

私はガイドさんに、「ガイドブックで見た木の根に埋もれた仏頭を見るのが『楽しみだ』」と言ったことを今でも悔いている。
「楽しみ」にするような場所にしては、とてもじゃないが重苦しい雰囲気が漂っていたのである。
それは例えば日本の原爆ドーム等が必要以上に整備されすぎているような気がするほど、
この地で起きた惨劇というものは未だ生々しくその傷跡を消すことなく残されていたわけで。
私は遺跡というものを、日本の復元された城、あるいは廃虚・廃屋のようなものと、とんでもない勘違いをしていたようだ。


アユタヤ王朝が開かれたのは1350年、以来35代の王が417年に渡って王朝史を繰り広げた。
もう少し詳しいことはタイ史 (ウィンドウが開かない場合は→こちら)で既に記述したので割愛。
当時の重要な寺院の一つが、仏舎利を納めるために建立されたワット・プラ・マハタートである。
かつて黄金色の尖塔をもつ巨大な仏塔があったが、ビルマ軍の侵攻により崩壊。
見てのとおり、首や手、胴体のない仏像郡が瓦礫のようなレンガの中に静かにたたずんでいる。
木の根に埋もれた仏頭はその際にビルマ軍が落としていったもの。
1956年に大掛かりな遺跡の発掘調査が行われ、当時の宝物や黄金仏はチャオ・サン・プラヤ国立博物館に展示されている。
一部の仏像は身体の部位を拾い集め繋ぎ合わせ作り直されたもの。
ワット・プラ・マハタートから道を隔てたところにあるワット・ラーチャブナラの仏塔が見える。
第8代王ボロム・ラチャシラット2世が1424年、王位継承の争いでなくなった二人の兄の為に建立したもの。
クメール式の仏塔の地下室には、タイ最古といわれる釈迦前世物語の壁画が残されている。

アユタヤ王朝最初の木造建築が建てられたのがワット・プラ・シー・サンペット
1426年に火災が発生した為に現在ある王宮跡に移動され、代わりにアユタヤ最大の王室守護寺院が造営。
1500年には高さ16m、263gの金で覆われた黄金仏が造られたが、1767年のビルマ軍侵攻により完全に崩壊。
現在は白く風化した3基のスリランカ様式の仏塔が残っているだけ。
中にはアユタヤ歴代王の3人の遺骨が納められている。
王宮跡には黒い煤のついた台座や回廊の柱が無残な形で残されている。
ビルマ軍の侵攻がどれだけ徹底されたものかが窺える。

ワット・プラ・シー・サンペットに隣接する仏堂がウィハーン・プラ・モンコン・ボピット
1603年ラマボディ2世によって建造された寺で、ビルマ軍の侵攻の際に崩壊したが、1951年に再建された。
この再建はミャンマーからの寄付金を基に復元されたものだと言う。
お堂の中にはタイ最大と謳われ、アユタヤ初期の様式と見られるブロンズ仏像が安置されている。

ワット・プラ・ナムは初代ウートン王の遺骨が納められている。
このプラーン型の仏塔は2代目のラーメスワン王によって建立されたもの。
現在は4基の仏塔とナーガ、ガルーダ、遊行仏、仏立像などの壊れた石造が残りっているそうだ。
残念ながら今回は時間の都合により池を隔てて臨んだのみ。







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